「私たちこそ神の子です」

A. アシラ(神)と柱

 「諏訪大社が古代イスラエルにつながるという決定的な証拠が御柱祭(おんばしらさい)なのです」と久保有政氏は言います。ソロモン王が神殿を造る時、レバノン山脈から大木(レバノン杉)を切り出し、エルサレムまで運んだと、列王記上5章にありますが、御柱祭も、大木を山中から切り出し、それを神として社殿でまで運ぶという祭りなのです。更に、古代イスラエルの時代、異教の神、アシラという名の女神があり(列王記上15:13)、それは木柱をもって表わされていました。このアシラが、日本語の柱(はしら)の語源なのだといいます。
 パウロは、アテネの人々の篤い宗教心を前向きにとらえ、彼らが知らないで拝んでいる神の本当の姿を伝えようとしました。そして、人は神の中に生き、動き、存在していることを伝えるために、私たちこそ、神の子であると人々に証しすることが大切です。

B.聖書より

皆さんのうちのある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』『我らもその子孫である』と、言っているとおりです。使徒言行録17章28節
 神さまの存在を論じる人は多いのですが、実は、人間は皆、神さまのうちに生き、動き、存在しているのです。それはちょうど、母親の胎内に存在している胎児が、「ワタシはお母さんの顔を見たことないが、いったい、お母さんっているのかな」などと言っているようなものです。神さまのうちで私たちはイエス様によって生かされ、聖霊によって動かされています。
 神さまの子孫であるとは、1)神の姿に似せて創られ、2)キリストによって贖われ、神の子とされた、という意味である。それにより、私たちは、神の子としての尊厳を回復できます。

C. 阪神タイガース マット・マートン選手

 現在、マートン選手は、セ・リーグ首位打者争いをし、夢の球宴(オールスター)にも出場するチームの柱となっています。昨年12月、阪神球団から誘いを受けたとき、日本でプレーすることは、メジャーでは通用しないということを認めるかのようであり、人間的なプライドから、日本行きを決断できずにいました。妻と何度も神さまに祈っていると、神さまはマートン選手に静かに、しかし明確に語られました。「そこが、あなたが行くところです」と。彼はイエス様の救いの素晴らしさを表すために日本に遣わされていることを忘れないようにと、打席に入る前、必ず十字架を描いています。
 「たとえ僕が、失敗してしまったとしても、イエスさまはありのままの僕を愛してくださる。そういう確信があるから、大舞台でも落ち着いてプレーできます。僕が試合中に意識しているのは、究極的には観客は一人、神さまだということです。すべてのことを、神さまに栄光をささげるためにさせてください、と祈っています」と語る彼が、いつも心掛けていることがあります。「罪のないイエス様が罪を持った人間のために十字架という苦難を通り、永遠のいのちをプレゼントしてくださった。その事実を思うとき、どんなに疲れていても、自分の弱さを覚えるようなときであっても、イエス様に救われたものとして、全力を尽くさなくてはと思います。野球で活躍できず、挫折を経験したこともありました。しかし確かなことは、神様が僕と共におられ、人生を導いてくださっているということです」と。
 先週の木曜日の対中日戦で、マートン選手は今季200安打をホームランで達成、チームを勝利に導きました。ヒーローインタビューで彼は、「カミサミハ(神さまは)、ワタシノチカラデス」と、たどたどしい日本語で嬉しそうに語っていました。そして、神さまが与えられた賜物を感謝し、努力するだけです、とその好調ぶりの秘訣を語りました。マートン選手は、自分の周囲に起こる導きと、内面に現われる神の御業(内面的な変化、成長)を知り、それを語ることで、立派に神とイエスの救いを証ししています。

D.結び

この世界と人の内面に現われる神の御業を探究し、私たちこそ、神の子であると人々に証ししましょう。そのために、私たちはこの世に遣わされているのです。
御翼2010年10月号その3より

 
  
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